みなさんはじめまして。
2021年6月にジョインした、糸島ポルトのShioriです。
趣味はキックボクシングとネイル。
日々、筋トレに勤しんでいる子育てママです。
・・・・
もうこの時点で謎な人物感がめっちゃ漂ってますが…
今日は「何ひとつ諦めたくない!妥協しない!」欲張りな私が、仕事と、家庭と、自分を 全力でぜんぶ取りするまでのお話をしたいと思います。

就活全落ち学生が人事になるまで
鹿児島で生まれ、育ち、大学卒業まで過ごした私。実は『就活失敗組』でした。
なにを隠そう、就職できず1年留年(就職浪人って言うんでしょうか)しています。
2年も就活やってますのでね、100社くらいは落ちたと思います。
ようやく拾っていただいた会社は、福岡の南側、製造業の老舗でした。
そこで「ちいさな会社の全てを見られるように」と、企業のいろはをイチから教わります(実際は”ちいさな”といえる規模ではありませんでしたが笑)。
もう、遊んで歌ってバイトしてばかりの大学生でしたから、簿記の知識もなければ専攻の法律の知識だってない、なーーーんにも使えない新人です。
そんな私に、ヒト・モノ・カネ・情報、経営資源の基本?というやつでしょうか。
まあとにかく、経理・総務・人事・営業・事務…なんでもできる屋さんとして育てていただきました(今思えば本当に感謝しかありません)。
そこで尋ねられた「たくさんやってきたけど、どの仕事がいちばんおもしろかった?」の言葉。
私は「人事労務」のキャリアを選択しました。
就活全落ち学生が、まさか人事労務の職に就くことになろうとは。不思議なご縁です。

4年を過ごし、転職した先は福岡でちょこっと有名な飲食企業でした。
経理として入社しましたが、イベントでの私(の舞台女優ばりのパフォーマンス)を見て「Shioriさん、絶対研修とか担当するのが向いてるよ」とのお声がかかり、1年後に人事部へ異動。

ここからの3年はとにかく仕事して仕事して仕事をしまくった。
採用では不人気傾向にある業界、労務管理の難しい業界、いや本当にほんっと〜〜〜に、鍛えられました(ボス・・・まじでありがとう)。
働くスタッフたちのことが大好きで、
商品も大好きで、
とにかく四六時中仕事のことを考えて(結婚式でも、パンフレットに自社製品の広告を出したくらいです)。
そんなとき、転機が訪れます。
ママになる。
喜びいっぱいだったのはもちろん、間違いありません。
でも、
どうしよう。わたし、仕事できなくなる。
・・・・いやだ。どうしよう。
と、思ったのも、紛れもない事実だったのです。

悩みはないけど、奥底にあったモノ
4月、わが子は生後6ヶ月で保育園に入園しました。
賛否両論あるかと思いますが、早く預けた理由はみっつ。
・キャリアを長期中断する(感覚が鈍る)のがいやだった
・仕事が好きで、はやく仲間のところに戻りたかった
・子育てに理解のある会社だからできると思った
リモートワークや、時短・有給利用など、本当に理解のある会社だったので、実際に復帰してからは大変ながらもなんとか、仕事と子育てを両立していました。

1時間かけての通勤も、5分刻みでの大忙しな毎日も、子どもが寝てからの家事も勉強も、苦痛じゃありませんでした。
でも、それだけ大好きな仕事だったからこそ、実は心に引っかかっていたことがあります。
どんなに努力したって、あの頃と同じようには、働けませんでした。

そうです。
子どもがいると、時間に制約のある仕事や、急な欠席の許されない仕事は、できなくなります。
出張だって、気軽には行けません。
昇進だって、数年はないでしょう。
子どもはかわいい。
何よりも大事で愛おしい。
でも…。
悔しくて、なんで私だけが…と、もどかしくて、
そんな母としての自分にも嫌気がさして。
日々、得体の知れないわだかまりは おおきくなっていきました。
Steamshipとの出会い
ある日「家の近くで、いい仕事ないかな〜」と、ふと求人サイトの検索窓に入れた適当なキーワード。
〈糸島 事務 正社員〉
表示された企業の名前をいくつかコピペして、
〈株式会社スチームシップ〉
このページをクリックしたときの
「・・・・見 つ け た」という
高揚感。
この記事を読んでいる皆