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《中途デザイナー》43歳おじさんがリスタート、地域で輝ける場所を取り戻した話

みなさん、初めまして。
2023年2月にジョインしたHidetoです。



働き盛りの40代、3児の父。



波乱万丈な時代を乗り越え、現在Steamshipでデザイナーとして働いています。



生まれも育ちも岐阜県土岐市。



駅前の商店街のおもちゃ屋が実家で、土岐市の駅前が毎日の遊び場でした。

幼少期


都会への憧れもあり、大学は関東の大学へ進学。



学生時代は部活動のサッカーに全振りで、大学も体育大、バリバリの体育会系でした。



そしてそのまま東京で就職し、10年ほどネット印刷会社・デザイン事務所でグラフィックデザイナーとして勤務。




響きはとてもカッコいいですが、実はデザイナーという職業は世間が思うほど華やかではなく・・・



締め切り「命」で毎晩徹夜!! 




31歳で結婚しましたが、新婚でも家へ月に3回しか帰れないような毎日を送っていました。



デスクで仮眠

結婚式の打ち合わせも徹夜明け・・・



この日常が普通だと思って過ごしていましたが、家族が増えることになり。



第一子が生まれるタイミングで土岐市へ戻る決断をしました。




ここから山あり谷ありの私と土岐市の物語が始まることになるのです。






土岐市という町の現実

東京で転職するという選択肢ももちろんありましたが、なぜ故郷に帰る選択をしたのかというと・・・





理由は大きく2つ。



一つは東京での子育てに難しさを感じていたからです。



妻は山形、自分は岐阜に実家があり、近くに親類もいない状況。



そして自分は仕事が忙しく、家に帰るのも難しい現実。



このままでは、初めての育児を妻一人に任せっきりになってしまいます。



そしてもう一つは祖父が昭和33年に創業し、当時父が経営していた会社の跡を継ぐためです。



大好きだったデザインの仕事を辞め、当時、土岐市内にスーパーマーケット4店舗、ホームセンター1店舗、飲食店1店舗、アパート・マンションや土地貸しの不動産経営などをしている親の会社へ入り、主軸であったスーパーマーケットで気持ち新たに働き始めました。


ですが、地元の土岐市へ家族と戻ってきて感じたのは、活気というものとは程遠い世界。




駅前の商店街はシャッター街となっていて。



自分の幼い頃のような賑わいはなく、日本の陶磁器生産量日本一の町「土岐市」の代表的な産業である陶器の窯元や商社でさえ減ってしまっている現実に直面しました。



転入届を出しに土岐市の市役所へ行った時に目にした数字にびっくり。



人口55,000人・・・





自分の小学生の時には人口65,000人だったはずなのに!?


10,000人減!?


え!マジ?




止まったままの自分の記憶が、大きく覆されたのです。






キャリアを積み
借金14億円の会社の社長に!?

スーパーマーケットで数年働いた後に、当初の約束通り、会社の代表取締役社長に就任しました。




多くの店舗や不動産を経営している会社の社長への就任。




傍から見れば華々しい出世劇ですが、実態は借金14億円。



グループ売上も60億円以上あった最盛期から半減していました。



大手企業がどんどん出店し、コンビニやドラッグストアなどの競合がどんどん増えていきます。



人口が減少する中で売場面積はどんどん増加、それゆえ売上は減少の一途。



社長というとお金持ちのイメージですよね?



ですが、そうじゃない社長がここにいた。



自分は役員報酬を極限まで削って経営をしていました。


スーパー経営時




地元愛がめちゃ強の祖父が始めた会社。





「土岐市のために」と土岐市内にしか店を作ることを許さなかった。





それゆえ当然、商圏が被り、自社の店舗同士が顧客の争奪戦に。



父も祖父から受け継いだ「土岐イズム」を大切にしていて、自分が大学に進学する際の一人暮らし用の電化製品でさえ、全て土岐市で購入したほどです。



これも、地元にお金を落とすため。



電化製品を東京まで運ぶために、わざわざ大型免許を取得し、店のバスを使い引っ越しました。



正直、地元に戻った当初の自分の土岐愛は今よりかなり薄かったんです。



しかし、お店を経営する中で地場の企業の方や同じく苦労しながらがんばる方々に心動かされていき。



そして何より自分の愛する子どもたちが生活していく土岐市をもっともっと元気にしたい!




この一心で頑張りましたし、地元愛がどんどん強くなりました。



地場の企業として雇用をつくるんだ

土岐で一番稼げる企業になるんだ

地元の方々に愛される店舗を目指すんだ



そう自分を奮い立たせ、頑張りました。




特に食品を扱う企業として、土岐のライフラインとしての使命や、従業員とその家族の生活を背負っている責任を感じていたのは言うまでもありません。



だからこそSteamshipのキャプテンRaitaさんが面接の際におっしゃっていた「地域に雇用を」というお話には共感しかなかったです。






地元企業として、地域にできること

地域密着のローカルスーパーとして、地域のライフラインとして、安心・安全はもちろん高品質な商品を提供することで楽しい食事と健康的な生活に貢献したい。




一念発起した自分は、お客様との親密な距離感のフレンドリーサービスを提供していくことで、あって良かったと実感していただける地域支持率No.1店を目指しました。



土岐市を元気に



企業としての社会貢献という本質のためにも、自分たちが生き残り続けるためにも、「土岐市」という町自体が元気になる必要がある。



そう考え、できる限りのことに取り組みました。



・地産地消
地場で作った美味しい新鮮野菜を食べる。



そこからさらに差別化した「土岐市の〇〇さんの作った美味しいトマト」など、ハイパーローカルの品を増やしました。



作った人の顔が見える。安心感と安全を追求したんです。



・高齢化対策
買い物バスをスタートしました。



高齢者など自分でスーパーまで来れない方のために週2回バスを出して、スーパーまで往復の送迎を行いました。



ネット販売に対し、買いに行くという買い物本来の楽しさを見直してほしいと思って始めたサービスです。



・コミュニティーの場を作る
夏祭り、クリスマスパーティー、餅つき、料理教室等、「地域が持っていたコミュニケーション機能」を維持することに努めました。



活動を通じて、地域貢献を実施しつつ(利益の地域還元)、店舗を「ヒトの流れ」の結節点にする。



小売というモノを売る仕事なんですが、「モノ売りからコト売りへ」という経営戦略で「狭商圏、高シェア」を目指したんです。



地元の中学生・高校生の職場体験、幼稚園・小学生の職場見学なども積極的に受け入れました。







苦難の連続

ただ現実的には経営は非常に厳しく、資金繰りに頭を悩ませる日々。



店舗も少しずつ閉店していきました。



時には個人の資金を投入しないと支払いができない…



会社を潰さないためにうん百万と自分のお金を入れたりしました。



消費税を支払えないので、遅延のお願いで税務署に頭を下げにいくことも。



銀行からの返済計画の見直しも迫られ、この時の精神状態は極限で10円ハゲも無数。



奥さん、子どもたちがいたことで何とか支えられていたと思います。



家族の大切さは、この時期めちゃくちゃ感じました。



そして、ついにその時がやってきます。



働いてくださる従業員さんの雇用のために

利用してくださる地域の方々の生活のために

仕入れなどでお付き合いいただいている他企業様に迷惑をかける前に



まだかろうじて資金が回っていて、店舗としても集客ができる今



スーパー事業を他企業へ譲渡するという決断をしました。






自己破産という決断

スーパー事業を譲渡し、従業員さんの雇用は確保。

飲食業はコロナもあり閉店。

社員は自分一人。

80歳近くまでひたすら不動産業だけで14億の負債を返済していく事業計画。

賃収で会社自体は回ってはいく。





だが、それでいいの?

あれ?この会社は何のために存在するの?

自分のやりたいことって?

色々な感情がふつふつと沸いてきて。



60年以上土岐市という土地でお世話になった会社でしたが、ここで終わりにしようと、前向きな気持ちで会社を整理しました。



そう、自己破産することに決めたんです。



当然99万円が財産の上限であるため、車も取られ保険の積立金も解約没収、児童手当やコロナの給付金などのお金ですらすべて自分たちの手元には残りませんでしたが



いつも追い詰められていたこの数年と比べて気持ちは楽になり。



マインドは家族のためにがんばらなければ!に切り替わりました。








Steamshipへジョイン

自己破産後、新たなスタートとして大好きだったデザインの仕事をまたしたい!という思いが強くなり。



Steamshipジョイン前に名古屋のWeb制作会社に1年程勤めていました。



その時の職探しで、実はSteamshipの募集も見つけていたのですが、当時はまだ土岐市で働く勇気を持てずにいて。



そして、土岐市周辺でデザインに携わる職の募集が他には全くなかったことも記憶にあります。



前職の制作会社に勤めてもうすぐ1年という時期に、ふと地元のために働きたい、土岐市を元気にしたい!という過去の自分の気持ちを思い出しました。



そのマインドを思い出したと同時にSteamshipのことも思い出し。



調べてみると、まだ募集している!



そして「地域から、未来を変えていく。」という理念



家族が1番・仕事は2番という環境



自分のやりたいこと、求めていることがここにはある!今しかない!



自分自身の気持ちを確認し、その日のうちにポートフォリオ、履歴書を準備して即応募。



時は12月の年末。今思えば繁忙期の一番忙しい時期だったので、申し訳ない気持ちになりますが…



デザイナーのMasakoさん、Raitaさんとの面接を経て、ジョインさせていただくこととなりました。

ジョイン初日


(決して怒ってはいません。緊張している顔です 笑)






感情もポジションも日々変化
ジョインしてみて~

ジョインするまでは、とても若い方が多い会社なので馴染めるかな?という思いがありました。



また、土岐ポルトは男性が自分1人なこともあり、正直不安もあり・・・。



ですが、まずは入社する前から「もうすぐ社員旅行があるので行きませんか?」とRaitaさんに誘っていただき、入社してすぐに長崎県壱岐市へ社員旅行に行かせていただきました。


本社が長崎にあり、他支社も九州中心なため、この時、他の拠点の方と交流できたのはとても大きかったと感じています。



さらに入社2ヶ月も経たずに、社内のカタログの勉強会において講師として参加させていただきました。



さらにさらに、今年度の土岐市のメインデザイナーに。



そしてついには、経験を買っていただき半年程でデザインチームのサブリーダーに就任しました。



本当に怒涛の約1年。



ジョイン後の日々で何より感じるのは、「仕事が楽しい!(大変さも込みで)」ということ。



今までの職場は電話対応や見積もりなど、1人で色々しなければという環境でしたが、デザインに専念できるこの環境はとてもありがたいと感じています。



Steamshipの成長速度はとんでもなく速く、自分が入社してからもクルーの数はどんどん増えて200人を突破!



土岐ポルトも自分の入社後に6名ジョインされ、2月よりまた1人入社してますます賑やかになりました。



若い方が多く、40代の自分は一応社会人の先輩と思っていましたが、とんでもない。



Steamshipの若者は素直で向上心が強く、逆に勉強させていただきとても刺激にもなっています。

(みんなやさしい)



社員の方たちの成長スピードもこれまた早い。



そして、みなさんオンとオフのメリハリもしっかりされていて。



休日に家族との時間を大事にできる環境にも感謝しています。






今後の目標

地域から、未来を変えていく。



このミッションのもとに、とにかく土岐市を元気にしたい!



そのために地場の企業を元気にしたい!



人口を65,000人に戻したい!



若者が活躍できる環境を作りたい!




志半ばで断念した土岐市への思いを今こそ成し遂げたいと思っています。



Steamshipに入社してわかったことは、まだまだ自分も土岐市のことを全然わかっていないということ。




古くからあるもの、そして新たにつむがれたもの、色々な土岐市の魅力を全国に発信していきたいです。



また、自分がSteamshipのホームページのブログを読んで、会社の雰囲気やクルーのやる気にわくわくしたように、何か少しでも感じてもらえるものがあればうれしいです。



そして最後に、生きていればどれだけでもやり直せるし、気持ちさえあれば遅いなんてことは絶対ない。



失敗なんて何度でもある、その度何度でもトライすればいい。



Steamshipにはそれが可能な環境があります!



当たり前ではないこの環境が本当にとてもありがたいです。




長くなりましたが、これが43歳のおじさんがリスタート、地域で輝ける場所を取り戻した話。




最後までご覧いただき、ありがとうございました。



Steamshipでは事業拡大につき、土岐ポルトの採用を強化中!




土岐市を起点に地域を盛り上げたいという皆さん!




地域の未来をともにつくっていきましょう!

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※本記事内の情報は2024年2月現在のものです。制度等、変更となっている場合がございます。予めご了承ください。

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